|
「芸人列伝異聞」その13 「ビトーたけし」という芸人をご存知だろうか? 「ビートたけし」ではない。あくまでも、ビトーである。 昭和22(1947)年生まれというから、ビートたけしよりひとつ年上ということになるのか。 本名は、尾藤武士である。芸名をビトーとしたのは、ビートたけしとはなんの関係もない。本名をそのままカタカナにしただけである。 彼が、芸人になろうと思い立った18才の頃は、尾藤イサオが「悲しき願い」の大ヒットを飛ばしていて、本名の尾藤のままではまずいという遠慮から(まだ、そういう時代であった)苗字をカタカナにしたもののようだ。 「お笑い芸人」が、今ほどのステイタスではなかった、ということでもあるのだが。 出身は、東京ということになっているが、実際は、信州の伊那谷辺りであるらしい。そこで生まれて、両親が東京に出たため東京で育った、というのが本当のようだが、本人はあくまで「東京出身」で通していた。 何か、特別なこだわりがあったのかも知れないが、誰にも理由は言わなかった。 18才で、大学に通いながら漫才師の喜楽屋千代治・万蔵に弟子入りして、芸人としての道を歩みはじめた。 大学は、一流とはいえないが、留年はしつつもコツコツと通って、工学部をちゃんと卒業している。 信州人らしいといえば信州人らしい話だが、その当時のお笑い芸人としては、かなりの変わり種であることは間違いない。 工学部にまで通いながら、何故お笑い芸人を目指そうとしたのか、それも今となっては知りようがない。 何か、よほど鬱屈した理由があったのか、単にお笑いが好きなだけだったのか。 その当時の記録は、ほとんど残されていないのだが、師匠の千代治が昔彼について語った数少ない記事を見ると、 「何せ変った男でしたなあ。 いや、世間一般から見たら、ごくまともな大学生でしたよ。まじめに勉強はしてるし、悪さもしない。 でも、芸人としちゃあねえ…。 普段は無口で、稽古も一所懸命なんですが、ちっとも上手くならない。 ほんとに、何のために芸人になろうと思ったのか判らない男でしたなあ」 と書かれている。 師匠にも判らぬものが、他の人間にわかろうはずもない。 芸もいっこう上手くならず、もちろん売れもせぬままに、彼は33才になる。 1980年のことだ。 そう、あの「MANZAI」ブームが到来して、お笑いが世の中を席捲しはじめた年だ。 「チャンスだ」と、彼も思ったようだ。コンビを探して、売り出そうと奔走し始めた。 だが、彼の前には、その時すでに「ビートたけし」が、ツービートとして華々しくデビューしていたのだった。 どこへ行っても「二番せんじの名前なんかつけやがって」「ものまねかい?」という言葉が彼を待っていた。 「俺の方が早いのに」と言っても通じる世界ではない。 名前を変えて、というのは、彼には我慢できなかったようだ。いかにも、融通の利かぬ信州人らしい性格がここにも現れている。 まさに、お笑い芸人には、もっとも向かぬ性格の男だった。 とうとう、彼も芸人の道をあきらめることを選ぶしかなかった。 こうして、お笑い芸人「ビトーたけし」は、ついに世に出ることなく消えて行ったのである。 それから、彼が、どこへ行ったのかって? 今こうして、つまらぬ評論を書いているのである。
by htmkuromame
| 2004-10-12 19:01
| ショートショート
|
ファン申請 |
||