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骨董屋の奥の棚で、その壺はひっそりと眠っていた。 少し緑色を含んだような灰色のごつごつとした肌で、底の膨らんだ洋梨のような形をしている。高さは30センチくらい、直径が20センチくらいで、口の径は、7〜8センチといったところだろうか。 花瓶のようにも見えるが、何のための器なのか良く判らない壺だった。 店の、信楽焼のタヌキに眼鏡をかけたようなおやじに尋ねると、 「箱がおまっしゃろ。そこに何ぞ書いてありましたなあ」 と言う。 自分の店の売り物のくせに、不勉強なおやじだ。どうせ置いてあるものもろくなものではあるまいと思いながら、壺の後にあった箱を手にして蓋を裏返してみた。 わたしでもまずい手だと判る金釘流の平仮名で、 「うそのつぼ」 と書かれている。その横の「仙光」というのが作者の名前なのか持ち主の名前なのか、こちらは几帳面な楷書で入れてあった。 「うそのつぼ、と書いてあるけれど」 そう教えてやると、おやじはしばらく考えて何か思い出したらしく、にやりと笑って言った。 「ああ、そりゃ、せんみつはんの壺でしたわ」 「せんみつ?」 「そ、千に三つもほんまのこと言わん、えらいほら吹きの骨董好きのじい様がいてはりましたんやが、そのじい様がむかーしに置いていったもんですわ」 「ほら吹き? ああ、それでうその壺?」 「いやいや、そうやおまへん。 これは、利休が手すさびに自らひねった器やが、ただそれだけと違う。その壺に、嘘を吹き入れるとな、ほんまのことになって返ってくる。それでうその壺や、国宝級の代物やが、残念ながらどこにも銘がない、それが残念や。 それに、嘘がほんまになるのは生涯一度きり。わしは、つまらん嘘を吹き込んでしもて、すっかりわやや、言うてましたわ」 「へえ、本当に?」 「そやから、せんみつ、言いましたやろ」 そう言って、おやじはまたにやりと笑った。笑うと、ますます信楽焼にそっくりになる。 「いくらです?」 自分でも物好きだと思いながら、きいてみた。 おやじは、けっこう高いことを言ったが、こちらが渋ると案外簡単に半値近くに下げてきた。ここを逃すと、また場所ふさぎになるだけだと思ったのかもしれない。 そんなわけで、その「うその壺」は、今、わが家の床の間に置かれている。 女房は、またつまらないものを買ってきたといっておかんむりだが、わたしは、けっこういい買い物をしたと思っているのだ。 どんないわれのものにしろ、形の面白さだけでも拾い物だし、第一、吹き込んだ嘘が本当になるというのが、それこそ嘘かほんとか判らぬが、面白いではないか。 そう。わたしは、ついさっき嘘をひとつ吹き込んだところなのだ。 どうせ、「わたしが、金持ちだとか、女房がとびきりいい女だ」だろうって?いやいや、そんな夢のない嘘はつまらないじゃないか。 わたしは、壺に向かってこう吹き込んでやったのだ。 「おまえは、本物の利休の壺なんだぜ」
by htmkuromame
| 2004-06-10 20:07
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