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だから、もちろん、覚悟の上で見に行ったのだ。細かいことは考えずに楽しんで観ろよ、という覚悟である。 だから、観ている間は、けっこう面白かった。 だがしかし、自分がSFファンであることを悔やむたぐいの面白さであったことも確かである(なまじSFファンで、半端な科学知識があるおかげで、「妙な」部分にどうしても目が行ってしまうのだ)。 ネット等での、一般観客(あえて一般と言わせていただくのだが)の評価は、けっこう高いようだ。自然の驚異の怖さを感じた、とか、親子愛に感動したとか、ね。 最初、主人公である古代気象学者は、「地球温暖化による気象異変は、100年から1000年くらいの間にやって来るかも知れない」と警告するのである。 それが、突然その異変が始まり、「7〜8週間はこの異変は続くだろう」ということになり、最終的には、1週間ほどで大異変は収まってしまう。 なんとも、前倒しな異常気象である。しかも、その異変が本当に終息したのか、氷河期がこのまま続くのか、何の説明もないままに映画は終わってしまう。 大きな流れでいうと、そういう話なのだが、細かい突っ込みどころは満載である。 その流れの中に、親子愛の復活、がからんでくるのだが、それだけのために北半球凍らせんでも、と言いたくなるお話なのであった。 「スターゲイト」(94年) 「インデペンデンス・デイ」(96年) 「GODZILLA(ゴジラ)」(98年) 「デイ・アフター・トゥモロー」(04年) どれも、「大馬鹿超大作SFもどき」と、遠慮なく呼べる作品ばかりだなあ。 彼の作品を並べて見ると、エメリッヒ監督って、只単に「とんでもないものがやって来て、とんでもないことが起きる(主に、アメリカの大都市がぶっ壊される)」という話が好きなだけなんじゃないか?という気がしてくるのだが、どうだろう。 エメリッヒ監督には、これからも、トンデモ映画の職人として大いに活躍して欲しいものである(皮肉、ではないよ。多分) ※「大馬鹿超大作SFもどき」=作り手が、大まじめですごいSF大作を作っているのだ、という気概に溢れていることが条件。例えば、「アルマゲドン」とか「A.I.」といった作品。「マーズ・アタック」や「ギャラクシー・クエスト」のように、作り手が「おら冗談でやってるだ」と認識しているような作品は、その範疇に含まれない。 (作者が、SFの本質をほとんど理解していない、というのが一番の…)
by htmkuromame
| 2004-06-18 11:11
| 極私的映画感
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