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何人かの大人と子どもたちが、小川に入って草を刈ったり、ゴミを拾っているのが見えた。 「河川清掃か。ごくろうだなあ」 日曜の忙しい昼の仕事が一段落して、彼は、ホテルの屋上に出てその様子を眺めながらたばこを吸っていた。 このホテルのコックが彼の仕事だった。コックといっても、まだやっと見習いから抜け出したばかりで、コック長の指示のままに動いている毎日だった。 なかなか休みが合わない彼女とも、少し前にけんかしたまましばらく会えず、ここのところ、うつうつとした日が続いていた。 けんかの原因は、半年も前のことだった。 眺めている小川は、少し行くと大きな湖に流れ込んでいるのだが、その湖の周囲では、毎年冬になると湖畔をぐるりと一周してアイスキャンドルを並べるお祭りがある。 アイスランタン、とでも言うのが本当なのだろうが、牛乳パックに入れた水を凍らせて、ロウソク立てを作り、それに灯をともすのだった。 毎年、一緒に行こうといいながら、いつもホテルの仕事で、その約束が果たされることはなかった。 ついこの間も、急な宴会が入って休みがつぶれ、彼女とのデートが駄目になった。 そのとき、彼女がアイスキャンドルのことを持ち出して、よけい話がこじれてしまったのだ。 「まったく、なんだって半年前のことなんかよ…」 彼は呟くと、たばこを手すりの裏でもみ消して、吸い殻をポケットの吸い殻入れに押し込んだ。 そのとき、川の中の子どもたちが何か大きな歓声を上げた。 タモを持った子どもをみんなが囲んでいる。何か、魚でも捕まえたのだろう。 彼は、川に背を向けると、屋上をあとにした。 コック長から、氷の器を作るように言われた。結婚披露宴のフルーツを入れるボールだった。 凝ったものは、ベテランでないと作らせてもらえないが、単純な形のものは作らせてもらえるようになっていた。もともと、工作は嫌いではないので、彼の作る器は、けっこう評判が良い。 大きな冷凍庫の中で、氷の塊を削っていると、外が夏の始まりだということも忘れてしまう。 言われた個数のボールを作りあげると、小さめの氷の塊がひとつ残った。 しばらく、それを眺めていた彼は、それを台の上に乗せて、削りはじめた。 夕方、彼女に電話をしてみた。今夜、ホテルの横の小川の土手で待っていると告げたのだが、電話は黙って切られた。 冷凍庫から、昼間作ったものを持って、ホテルの通用口を出る。そこから、小川のほとりまで、20メートルもない。 小川に着いてみると、何人かの先客がいた。大人や子どもが、川の方を見ながら何をするでもなく立っている。 少し気になったが、彼は、土手をくだって、川岸まで降りた。 手にしたものを、石の上に降ろした。 それは、氷で出来た小さな舟だった。真ん中にロウソクが立ててある。 そのまま、しばらく待っていたが、彼女がやってくる気配はなかった。 彼は、ため息をつくと、大分溶けてしまった舟の上のロウソクに火をつけた。 「せっかく作ったのによ」 そう呟いて、その舟を川面に浮かべた。 舟は、しばらくそこにとどまっていたが、やがて、ゆっくりと湖の方に向かって流れはじめた。 暗がりの中で、氷の舟は見えなくなり、オレンジ色の炎だけがちらちらと瞬いている。 それを見つけたのか、土手の上の方で、子どもたちが声を上げた。 だが、溶けかかった氷の舟は、湖までは届くことができず、ロウソクの炎は、あっという間に水に飲まれてしまった。 「ちぇ」 彼が、舌打ちしてきびすを返しかけた時だ。 また、土手の上で歓声が上がった。今度は、大人たちの声も混じっている。 みんなが指さしている方を見ると、小さな青緑色の光が、いくつも沸き上がるようにして川岸の草むらから現れて、漂いはじめた。 「ほたる、か」 この小川で、蛍を見るのは初めてだった。そうか、あの人たちは、蛍のために、川を掃除していたのか。 そう思いながら、ゆっくりと瞬く光を、もう一度眺めた時だった。 「きれいな、アイスキャンドルね」 振り返ると、彼女が微笑んで立っていた。
by htmkuromame
| 2004-07-01 16:03
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