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3)スケッチ(1) 美術クラブの顧問は、黒沢 彰といった。 読みだけだったら、あの映画監督と同じ名前だ(もっとも、ぼくは黒澤 明の映画って見たことはないのだが)。 黒澤 明監督は、大男だったみたいだけれど、こちらの黒沢 彰先生は、背は中くらいで、やけにひょろひょろとやせた人だった。 たいていの先生はジャージスタイルなのだが、黒沢先生は細い縦縞の黒っぽいスーツを着て、いつも赤いネクタイを締めていた。 美大の油絵科を出ているという話だったけれど、見かけは芸術家というよりは売れない若手芸人みたいだった。 「菅谷 俊くんか」 黒沢先生は、クラブ室に顔を出したぼくの顔をしたからのぞき込むようにして言った。 「はい。 よろしくおねがします」 「ふーん、じゃ、ちょっとデッサンでもやってみるか」 先生は言って、教室のすみに転がっていた石膏の球体を持ってきて机の上に置いた。 クロッキー帳と、4Bの鉛筆を一本渡されたのだけれど、ぼくにはどうしたらいいのか見当もつかなかった。 「見たとおり描きゃいいよ」 先生はそういうと、ほかの生徒の様子を見に行ってしまった。 まだ、ほかのクラブ員に紹介もされないままだ。 しかたなくぼくは椅子に腰をおろすと、丸い石膏をにらんだ。 いくらにらんでいても、丸い玉は、ただの丸い玉のままだった。 ぼくは、やけになってクロッキー帳のまんなかに円を描いて、その下に影らしきものをつけ足した。 なんだか、雲の上に顔をだした満月みたいな絵ができた。 「ふーん」 頭の上で、先生の声がした。 「球体にも、影はあるぜ」 先生は、クロッキー帳を取り上げると、すばやくその上に鉛筆を走らせた。 返された紙の上の円には、すこしだけ線が描き加えられていた。 それだけで、ただの円は、立体感をもった球体に変身していた。 「すげえ」 ぼくは口のなかで呟いた。 「まあ、デッサンなんて、いかに対象物を見るかだけの問題だからな。 きみには、すこしは見込みがありそうだ」 「え?どこがですか?」 ぼくは、思わず聞き返した。 「ちゃんと、円が描けてたろ。 丸を描くのだって、才能がいるのさ」 この先生は、見かけによらずすごい人なのかも知れない、ぼくはそれを聞いてそう思った。 あとになって、新入クラブ員はみんな同じことをやらされるのだと聞いても、そのときの印象は、あまり変ることはなかった。 (続く)
by htmkuromame
| 2005-06-01 15:30
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