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熊くんよ なかの実がうまそうだからといって いきなり栗のイガにかじりつく者はいないと きみは思うだろうが ひとの世の中には 目先の欲につられる愚者が きみの想像をはるかに越えて多いのだ 口のなかが血だらけになっても まだ甘い栗が食える と思っている鈍物も また同じだ イガのなかには 栗の実を食い尽くした 苦い虫が いるだけであるかも知れぬのに 熊くんよ 人間の愚かさを どうか笑わんでくれ #
by htmkuromame
| 2005-09-12 09:23
| 雑多な感
ただ、困ったことは、その情報が正確だという保証はどこにもないということだ。 「21世紀・100年カレンダー」は、放送作家で記念日協会の代表でもある加瀬清志氏が製作したものだが、氏の日記に「どうやらまた誰かがブログに書き込みをしているらしい。それは作家の井上ひさしさんが「100年カレンダーを見た人の何人かが自殺をしてから発売禁止になった」と書いた文章を読んだことがあるというもので……」という一文があった。 確かに、井上ひさし氏の「私家版 日本語文法」という本の中の「時制と体制」という章の中に、(要約すると)「また、筆者の体験を書き連ねておくと、あれはもう十年も前になるが…」という書き出しで、「1970年から2069年まで」の新聞紙の倍の紙に印刷されたカレンダーを買って部屋に貼って眺めていると次第に沈んだ気分になり、その日の仕事はやめて「うどん喰って寝てしまった」とあり、その後友人が持ち去ってしまったので、また買いに行くと、女店員に「カレンダーを眺めているうちに自殺した人が二人も出たんだそうです」それで発売禁止になったと言われたというエピソードが出てくる。 本が書かれたのが1978年〜1980年で、これは最初の方にある章の文章だから、おそらく1978年のものだろう。その十年前というと1968年頃ということになるから「1970年から2069年までのカレンダー」というのもなんら矛盾はない(別に、井上ひさし氏の書いた文章を疑っているわけではない)。 ただ、自殺者が出た「らしい」というのは、女店員が言っただけのことであり、事実かどうかはまったくわからない。 落ち込んだ気分になったものの、わざわざまた買いに出かけたのだから、井上氏もそれほどの「もの」とは思っていなかったはずである。 さて、ここに、もうひとつの話のネタになっているらしい文章がある。あるサイトの中の一文なのだが(「100年カレンダー」でググると真っ先に出てくるから、誰でも読めるはずである)、その文章も「あと1枚か……」(中略)「10年ほど前のことだろうか、「100年カレンダー」が……」という書き出しではじまっている。 おや、井上ひさし氏と同じカレンダーの話なのかな?と思って、その文章の書かれた日付を見直すと、1998年の12月になっている。つまり、そのカレンダーは、井上ひさし氏が買ったカレンダーからまる20年後の1988年に売りに出されたもの、ということになる。 そして、そのカレンダーも1年で発売中止になり、その理由は「自殺者が4、5人はいたようだ」から、ということになっている。 この話でも「自殺者が出たようだ」というだけで、それが本当の話なのかどうかは確かめられない。 さて、ここで疑問が出てくる。 この2つの「100年カレンダー」は同じものなのか、まったく別のものなのか?(20年も離れているのだから、まず同じものということはあるまい。1988年頃のものが実在したとしての話だが)。 違うものだとすると、そのカレンダー製作者は「前のカレンダーにまつわる悪い噂」を知らなかったのだろうか? 100年分のカレンダーを作るというのは、パソコンを使ってさえ大変な作業である(ただ単に数字を並べていけばいいというものではない)。 もし製作者が業界の人間であったら、「100年カレンダー=自殺者」という話を知らぬはずはないと思うのだが…。 それに、「発売中止になるまで1年間も売られつづけて」いたのだから、まだ持っている人がけっこういてもおかしくはないのではないか(わたしは持っている、という人の文章はまだ見かけていない)?発売されてから20年弱しか経っていないのだから。 そして、20年経って、そっくり同じことが繰り返されるというのもいかにも不思議なお話ではなかろうか? という疑問である。 で、さらにこの2つが元ネタとなって、一種のネットロア(ネット伝説)を誰かが作り出しているということなのだろう(検索してみても、今のところあまり広がってはいないようだが)。 もとの話が「らしい」と「ようだ」という伝聞なのである。その文章をネット上で見て孫引きする人はもちろん自分で情報のもとを確かめるようなことはしていない。 こうして「らしいとようだ」というあいまいな存在は「こうだそうだ」という妖怪に昇格して、ネットの海の中に広がってゆくのである。 ある意味、その方がよほど「恐いこと」のように思うのだが…。 #
by htmkuromame
| 2005-09-08 15:10
| 雑多な感
「映画の雑貨店」、本来の原稿がなかなか溜まらないので、とりあえずイラストのみ6点アップしました。こちら。 追伸 10年くらい前に仲間と作っていた冊子に載せていた「少しばかりSFな日々」の第1回もアップしました。 こちらも、徐々に載せていきます。 よろしく。 #
by htmkuromame
| 2005-09-06 18:36
| お知らせ
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by htmkuromame
| 2005-09-06 12:04
| 今日のワンショット
7)秘密(1) 「世の中には、自分にそっくりな人間が三人はいるっていうけど、ぼくの場合きみのお父さんがそのひとりだったてことかも知れないね」 きらのお父さんは、そう言って困ったようなおかしいような複雑な顔つきのままほほ笑んだ。 「そうですね。 でも、本当にそっくりなひとっているんですね」 ぼくはそう答えるよりなかった。 それから、しばらくお父さんの仕事を見学させてもらったりしてから、ぼくとトモタは分校をあとにした。 帰りぎわ、お父さんが、 「また、いつでも遊びにおいで。 きらが友だちを連れて来るなんてめったにないから、おじさんもうれしかったよ」 と言った。 きらは、ぼくたちを正門まで送ってきて、 「パパと俊のお父さんがそっくりだから、私たちもどこか似てるのね。 今度、俊のお父さんお写真見せてくれる?」 そう聞いた。 「うん、いいよ」 ぼくは、気軽な調子で答えたけれど、内心はかなり複雑な気分でいた。 もし、父さんが死ぬ前に見たというドッペルゲンガーが、きらのお父さんだとすると、なんとなくそのことが父さんの死に関係があるような気がしてしまったからだ。 もちろん、その話はきらたちにはしなかったけれど。 「それじゃ、またね」 正門まで来ると、軽く手を振って、きらはあっさりと校舎の方へもどっていった。 彼女が校舎の中に消えてから、ぼくとトモタはきびすを返して自転車にまたがった。 「知ってるかい?」 トモタが、前を向いたまま、ぼそっと聞いた。 「え、なにが?」 「きらちゃん、ほとんど学校へ行ってないんだってさ」 「え?」 「登校拒否、とまではいえないみたいだけど…気が向くと学校には行くこともあるみたいだからさ…それでも、めったに行かないらしいよ。 この間、ばあちゃんがどっかで聞いてきたんだ」 「へえ」 と、ぼくは間の抜けた返事をした。 「でも、何が原因なの? いじめかなんか?」 「そうじゃないらしいよ。 学校自体は嫌いじゃないけど、他にやりたいことがあるって先生には言ってるらしい。 頭はいいから、授業に出ていなくても自習だけで成績はトップクラスだっていうから、それはそれですげえけどさ」 「ふーん」 ぼくは、また間の抜けた返事を返すしかなかった。 きらを見ていると、登校拒否などとは無縁のようにしか見えなかったたからだ。 何が原因なのだろう。お父さんとお母さんのことにも関係があるのだろうか? ぼくは、もう木の陰になって見えなくなった分校の方をふり返って、胸の中で呟いた。 (続く) #
by htmkuromame
| 2005-09-06 11:44
| 連載小説
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